当社について |
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JJA
ジュエリー
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福島社員
JJA ジュエリー
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たった3人の会社ですが商品と知識は豊富にあります。 |
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店頭接客風景 |
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地 図 |
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沿 革 |
寛政10年(1798年) 初代増井(名前不詳)が江戸・神田鎌倉河岸(現在の東京都千代田区内神田)において金物問屋「大野屋」を創業し、明治初期まで続いた。
明治初期(正確な年月は不詳)、7代目増井長兵衛の時、一族の内紛で倒産し東京市浅草区千束町に住んだ。
8代目・増井幸吉は錺(かざり=宝飾工芸)職人になり東京市小石川区宮下町(現・東京都文京区千石)に住んだ。
この間の家系図などは、増井家が檀家総代をしていた善徳寺(東京都江東区三好)に預けておいたため、関東大震災で焼失してしまった。
9代目・増井清は、国鉄(現・JR)での職域販売をしていた時計商「高橋時計店」の社員として朝鮮・満州での時計販売に従事した後、昭和10年(1935年)東京・浅草橋で時計バンド卸商「宝商会」を設立。
太平洋戦争で本社が焼失したため、戦後、東京都台東区竹町(たけちょう・現在の台東三丁目)に移転し、規模拡大に応じて「宝商会」を合名会社(昭和21年1月)、ついで有限会社(昭和27年3月)に組織変更した。
昭和30年(1955年)営業所を仲御徒町3丁目(現在の上野5丁目)に開設し、時計・眼鏡・喫煙具の卸団体「仲御徒町問屋連盟」(現在の仲問連協同組合)の創設に参加。
昭和31年(1956年)3月本社と営業所を現在地に移転。 昭和34年(1959年)4月株式会社に改組した。この頃関東一円から静岡にかけての小売商に販売し、時計バンド卸としては日本一の規模となった。
しかし、時計が時計バンドと一体化したデザインになるにつれ時計バンドの需要は減退し、兼業していた宝飾品が売上の中心となったため、昭和49年(1974年)商号を「宝貴宝株式会社」に変更。
10代目・増井雄二は慶應義塾大学卒業後、国内の貿易会社に勤務した後、南米コロンビアのエメラルド輸出会社で社長秘書・経理部長として勤務していたが、先代の危篤により急遽帰国して、昭和51年(1976年)社長に就任。
その後、価格競争力強化および品揃えの充実を図るため、営業形態を店頭現金卸中心に改めた。また、コロンビア産エメラルドを始めとする裸石を輸入してメーカーに卸すとともに、小売店向けに最初に裸石の店頭卸売を始めた。
昭和62年(1987年)宝飾品問屋街「ジュエリータウンおかちまち」の設立に参加。
平成10年(1998年)7月、ホームページを開設。
平成12年(2000年)2月、ダイヤモンドのインターネット通信販売を開始。 |